NPO法人 すみだ学習ガーデン > お知らせ > すみだのおもかげ 濹東向島の道 平成13年4月講座

すみだのおもかげ 濹東向島の道 平成13年4月講座

さくらカレッジ講座「すみだ学記録集」
もとは海だった墨田の地




武蔵の国と下総の国を分ける隅田川

武蔵の国と下総の国を分ける隅田川



小島惟孝氏「墨田区の生成」より
昔の国名でいうと今の東京都は武蔵国で、相模国(今の神奈川県)と下総国(今の千葉県北西部)に挟まれている。しかしこれはおおよその区切りで、今の墨田の地域は武蔵国ではなく下総国に属していた。区内の両国という地名は武蔵国と下総国の境目を意味するが、2つの国を分けるのが隅田川であり、墨田の地域は隅田川の東側に位置するので下総国に属することになる。
以上は比較的よく知られていることだが、すみだ史談会が創立15周年を記念して発行した「すみだ史談会会報集大成」所収の小島惟孝氏の論文「墨田区の生成」には、3つの国(武蔵、相模、下総)の関係がもう少し詳しく解説されている。以下はこの論文に基づいて、当時の様子を見てみよう。
古代の公の道による区別でいうと、下総国は東海道に、武蔵国は東山道に属する。東海道は京都など畿内から太平洋沿いに駿河国、甲斐国、相模国を経て、今の東京湾を船で渡って、上総国(千葉県中部)に至り、常陸国(茨城県)に達していた。

歌川広重 鴻の台とね川風景 下総の国府が置かれていた国府台 パブリックドメイン画像

歌川広重 鴻の台とね川風景
下総の国府が置かれていた国府台
パブリックドメイン画像



だから、例えば相模国から下総国の国府があった国府台(千葉県市川市)に行くには、まず観音崎(神奈川県横須賀市)に出て東京湾を渡り、上総国・木更津(千葉県木更津市)に上陸して、そこから陸路を延々と北に向かうことになる。地域開発される前は陸路より海路の方が安全で便利でもあった。東山道に属する武蔵国は通らなかったので、大変な遠回りである。
ところが時代が下がって、宝亀2年(771年)の頃になると、次第に陸路が開発されるようになり、武蔵国から下総国へ、相模国から武蔵国へと陸路が通じるようになった。相模国からは海路に頼ることなく、武蔵国の国を通って下総国の国府台に出かけることも可能になったのである。
また、小島氏によると、墨田区のどこを掘っても貝が出てくるという。昔、この辺りが海だった証拠である。一方、動物園や博物館がある上野の山や市川の国府台からは昔の人が使った土器や鍬の破片が出土する。つまり、上野の山や国府台は人々が住む海辺の岸だった。
房総台地と武蔵野台地の間に広がる海には大利根川などの川が流れ込み、流れと一緒に運ばれる大量の砂が堆積していった。州が形成されていったのである。
すみだの地名は、承和2年(835年)の太政官符に「下総と武蔵の国の境に住田川があり、そこに住田の渡しがある」というのが最初のようだ。住田(すだ)とは州にできた田んぼの意味らしい。地名は住田から州田、さらに隅田へとつながっていく。
だから、墨田の地域には今も海や州に関連した地名が多く残っている。昭和まであった寺島、向島須崎、請地、さらには今に残る押上(風で砂が持ち上げられた)、入り江に面した小さな村を意味する小村江から変化した小村井などで、近隣の江東区や江戸川区にも亀戸、平井、一之江などがある。