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すみだのおもかげ~映画のふるさと「すみだ」日活向島ハリウッド 平成21年10月講座

さくらカレッジ講座「すみだ学記録集」 映画のふるさと「すみだ」の講座に参加して

※文中に堤小学校とありますが、現在廃校になり「桜堤中学校」となっています。 


桜堤中学校構内にある「近代映画スタジオ発祥の地」案内板 photo'14/06/15
「すみだ学習ガーデン」NPO法人発足10周年おめでとうございます。区民の智欲と文化欲に応えて、その豊かさの為にご奮闘されている皆様に心からの敬意を表します。 映画のふるさと『すみだ』の講座は素晴らしい企画だと思いました。私が講師として参加したからではありません。どこにでも特異な歴史的な土地柄があり、だれもが、その影響を少なからず受けています。それを気づかせ、愛着に変えるからです。 当日もお話いたしましたが、私は東武伊勢崎線久喜に育ち「嘉一郎」の名前は、東武鉄道の初代社長根津嘉一郎から貰ったと母親に聞かされました。また叔父が業平で青果店を開いていて年末には手伝いと遊びに来ては、須田町行きの市電で浅草に出て映画・芝居をよく観たものです。こんな「すみだ」との関わりに加えて、「映画人の墓碑」で永遠の眠りを「すみだ」で保障されることに成ろうとは不思議な歴史の巡り会わせです。

space2 グラスステージ
300坪におよぶ巨大な温室のような聡ガラス張りの大ステージ、こんな夢のような「日活向島撮影所」(現在・堤小学校)が大正2年(1912)に建てられていたとは、現在では想像することさえ困難です。 明治39年(1896)に輸入された映画は翌年には興行師によって全国に普及され、明治44年には素朴な形での製作配給上映の機構が誕生、その主なもの4社が明治45年に合併して日本活動写真株式会社(略称・日活)を資本金1000万円で作りました。 当時の映画撮影は、天然光線だけが頼りで困難がともないました。その解決の為に「日活向島撮影所」が建てられたのです。ところが大正12年(1923)の関東大地震によって見る影もなく潰されたのです。撮影所の大半は京都に移転、遂に再建されなかったのです。 大正14年(1925)「日活向島撮影所」に取って代わるものとして、高松プロダクション吾嬬撮影所が建設されました。

space2 映画人の墓碑
時は流れて1992年今井正監督によって映画「戦争と青春」が作られます。そのロケ地に墨田区・多門寺の墓所が使われたのです。一方、同年共同映画(株)元社長・故坂斎小一郎夫人ハツさんから資金の提供があり「映画人の墓碑」が建立され、会が発足したのです。 発足18周年合葬者277名・生前予約者206名に達し、永続的維持運営管理のため懸案であった法人化について検討し、11月1日「一般社団法人・映画人の墓碑の会」として再発足する予定と成りました。今後とも宜しくお願いいたします。 最後に私の夢を一つ、この機会に「遂に再建されなかった、日活向島撮影所を堤小学校に再建したい」のです。近代を象徴する「東京・スカイツリー」、歴史を象徴する「大ガラスステージ」、この現実は映画人と愛好家のみならず、全国に、全世界に注目されるに違いありません。先ずは関心を広げることから始めたらと思いますが如何でしょうか。
写真:多門寺にある「映画人の墓碑」2004/8撮影 墓碑の裏側

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解説
日活向島撮影所は現在の桜堤中学校(墨田区堤通2-19-1)の地にありました。 大正2年から大正12年の大震災までのわずか10年という短い間でしたが、三角屋根で総ガラス張りの本格的な映画スタジオだったのです。
※文中に堤小学校とありますが、堤小学校は平成23年に廃校となり、平成25年に鐘淵中学校と向島中学校が統合され桜堤中学校となっています。
・野原嘉一郎氏は1924年埼玉県生まれ。共同映画株式会社社長を23年務め数多くの映画を制作。 1992年「映画人の墓碑の会」創立時から理事長を務められました。 (一声社 ゆかりちゃんホームページより)