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すみだのおもかげ~遊ぶ子に幸せ祈る地蔵尊  平成15年10月講座

さくらカレッジ講座「すみだ学」記録集
遊ぶ子に幸せ祈る地蔵尊
地蔵尊手を合わせる心は時を経ても変わる事なく引き継がれていく。
縁あってここ寺島の地に住まいして訪れる人は数知れない。
なかでも縁日に子連れで来られた方々の数も知れません。
子らが大きくなってまた懐かしみをもって訪れる。
思い出という記憶の中に、お地蔵さんは住んでおられます。
200年以上も前の話ですから私としても「如是我聞」ではありませんが、しかじかかように私は聞いたと言うほかはありません。
文化年間、西暦で言いますと1804年から1818年にかけまして隅田川の堤防改修工事の最中に土中より出でた石仏です。作者は不詳です。
始めは乱雑な現場のことですから端のほうにほおっておかれたのでしょう。
子供たちがそれを見つけて縄を結んだり 箱に入れて神輿のように担いだりして遊んでいたそうです。いい遊具だったんですな。

その頃植木屋平作方の雇い人夫婦が近くの田圃の中で殺されているのが見道路標識つかった。犯人はあがらず迷宮入りかとあきらめかけていたところ、遊んでいた子供達が、夢にでも見たのか興奮した口調で犯人は×××だとお地蔵様が告げたと言うのだ。平作にすれば親戚同様にかわいがってきた下働きの夫婦でもあり不憫に思っているところでもあり隣のご隠居に相談に行くとびっくりして、番所にお伺いをたてようということになり 同道して事の次第を話して帰宅した。犯人があがったのはその翌日であったそうな。この事があって以来評判になり大事に安置しておまつりするようになったそうです。
その頃植木屋平作は千代田の城のお城付お庭番三家の一人で城内や大名の築山作庭等扱っておりました。また隅田川東岸の管理もまかされてもおりましたので 堤防工事、掘割(平作堀)、橋の建設(旧白ひげ木橋)等の監督もしておりました。
あるとき11代将軍家斉が鷹狩りの帰途、平作方にお休みに立ち寄られた時に、平作からこの話をお聞きになりお堂を寄進されました。
それからは村人たちが競ってお参りするようになったということです。
川で溺れた人をお地蔵様の前に運んでお願いしたら生き返ったとか、出産や眼病とかに霊験あらたかだというので、特に子供の成長を願う人々の信仰を集め、いつしか子育て地蔵と言われるようになったそうです。

地蔵坂通り地蔵坂通りは毎月四の日、四日、十四日、二十四日の日が縁日で、お堂では線香を売り、通りでは露店商が店を並べます。
沿革は明治44年ごろの堤防修築の際 土盛り修繕して現在地に地蔵尊を安置して縁日を始めたと聞いてます。その頃より地蔵坂と呼ぶようになったとも聞きます。
墨田区では坂のついた地名はここだけです。
あまり知られておりませんが、堂の後ろの小公園に家斉鷹狩りの時のお手植え唐楓を記念して碑が立てられております。天保3年4月の記載があります。また堂横には文化勲章受章者である西川寧氏の筆になる子育て地蔵尊語由来の碑があります。これは昭和8年に4代目平作が建立しました。(墨田区教育委員会の説明板)
今昔物語にもありますが、お地蔵様即ち地蔵菩薩には会釈しただけでご縁が繋がるという霊験が伝えられています。ご通行の節はぜひどうぞ。

地図  東京都墨田区東向島3-2-1  photo:2013/12/8