すみだの川と橋/北十間川  
 
平成18年9月24日撮影/境橋から
 
   


 
北十間川の地図
 
 


ガーちゃんさあここよ、新東京タワーができるの。東武橋と京成橋の間に出来るのよ。
 すごい数の観光客が来るのよ。この川から遊覧船も出るのよ。隅田川とつながるといいわね。
デンくん ねえねえガーちゃん、650mもあるんでしょう。江ノ島や、鎌倉見えるかな? 楽しみだな。

ガーちゃんン? 何それ。
デンくんボク、行ったことないんだ。
ガーちゃん・・・・そのうち連れていってあげるからね。
デンくん やっぱり、ガーちゃんはいい人だね。
ガーちゃんハイ、ハイ、ハイ、ところで、今日は何を勉強してきたの。
デンくんこの川は、横十間川とつながっているでしょう。それにね、この川の幅も十間だったんだよ。横十間川と区別するために北十間って付けたんだよ。北にあるからさ。 一間は1.8メートル。だから川幅は18メートルだよ。
ガーちゃんはい、よくできました。やっぱり、この川も人工的に掘った川ね。
業平のところで、大横川と、源森川と曳舟川と複雑な辻になってたのね。地図参照
 この川の起点は中川の分岐点よ。終点は隅田川。でも今日はランチの時間の都合上終点から起点にさかのぼります。
デンくんランチ?それが今日のうおいしいモノ?
ガーちゃんそうよ、十間橋のところにおいしいカレー屋さんがあるのよ。一般の民家を改造して造ったお店よ。予約しなくちゃ入れないのよ。

 

 


 
北十間川に架かる橋
 
クリックしてみて
   
     枕橋 (まくらばし)
全長26.18m・幅18m/東京都管理
 

 
 吾妻橋一丁目と向島一丁目を結ぶ橋。昭和3年11月に架けられた橋で、創架は寛文2年(1662年)です。墨田区役所前の通りを隅田公園方面に渡しています。墨堤はここから言問団子まで高速道路の下になります。
  この橋ははじめ源森橋と称しましたが、ほとりに源兵衛という船乗りが住んでいたので、源兵衛橋とも呼ばれていました。又源森橋の北に水戸藩の下屋敷(現隅田公園)があり、そこに入る掘割に新小梅橋という小橋が並んであったため、ふたつ並びし枕橋と小唄にも謡われていました。
 明治8年に俗称の「枕橋」が正式名となり、源森橋の名は東隣りの無名の橋に譲りました。
 枕橋の西北(水戸藩の御船蔵のあったところ)の隅田川べりに八百松という大変にはやった料亭がありました。小山松五郎という人が、超一流の料亭山谷の「八百善」で修業し、水神様の傍らで吾妻屋という店を開きましたが、明治3年さらに枕橋のたもとに八百松と改称して支店を出しました。隅田川と源森川の風情が楽しめるので、政財界をはじめ、たくさんの人で賑わいましたが、関東大震災で閉店と相成りました。因みに名物はシジミと焼き鳥でした。

 現在隅田川とは水門で仕切られていますが、第一橋梁(河川の最下流に架かる橋)として恥じない立派な石造りの橋です。


     源森橋 (げんもりばし)
全長16m・幅35m/東京都管理
 

 
 吾妻橋二丁目と向島一丁目を結ぶ水戸街道に架かる橋で、平成19年3月に架けられた墨田区で二番目に新しい橋です。創架年は不詳。 名前は
明治8年に西隣りの源森橋が枕橋と改称されたのにともない、「源森橋」の名を譲り受けました
 かつては、この辺りに中ノ郷瓦町、小梅瓦町という町がありましたが、その名が示すように瓦屋さんが集まっていた土地でした。大横川を右におれても、川の西側には昭和まで瓦屋さんが並んでいました。

 枕橋から東武橋までは、川沿いの道がありませんので、東武鉄道の高架脇を歩くことになります。


     小梅橋 (こうめばし)
全長26.55m・幅6.5m/墨田区管理
 

 
 吾妻橋三丁目と向島一丁目を結ぶ橋で、震災復興計画で昭和4年に架けられましたが、昭和28年9月には早くも架け替えられています。この橋の北側と、現在の業平橋駅一帯が小梅瓦町、小梅村とそれぞれ呼ばれていた所で、旗本の隠居所や富商の妾宅があったのはこの辺のことでしょうか。北十間川に面したこの橋の北辺りに、小梅小倉庵という江戸屈指の料亭があったところで、広重の絵にも描かれています。一説によりますと、ここの主人の小倉庵長次郎という人が強盗団の一味だったというおはなしもあります。 現在は東武鉄道の高架になっています。  反対側、橋の南西には川に面して、業平橋ポンプ所があり、雨水を隅田川へ直接放流出来るように只今工事中です。

 さて、この橋の東に水門があり、北十間川は完全にこの水門で区切られています。
この先、東武橋の東北に新東京タワーが出来るわけですが、この水門をどうするかは、まだ白紙状態だそうですが、小名木川の扇橋閘門や、荒川ロックゲートのように水位を調 節して船を通しているところもあるので、あとは行政に期待したいところです。




     東武橋 (とうぶばし)
全長19.7m・幅22m/墨田区管理
 

 
 業平一丁目と押上一丁目を結ぶ橋で、昭和初期に架けられましたたが、現在の橋は昭和63年3月に架け替えられた比較的新しい橋です。
 東武鉄道の本社のあるところで、東武橋と付けられています。ここから京成橋にかけて、北十間川の北部に新東京タワーを中心にした、新しい街が出来ます。工事が平成20年から始まりますので、東武鉄道の本社ビルもこのあたりの風景も見納めということになります。
 幕末の古地図を見ると、今は無い曳舟川 (地図参照)はこの橋のあたりで止まっています。もっと以前は本所の武家たちに飲料水を供給するため、法恩寺橋まで達していたそうです。
 橋の東側の川の中に何か妙なものがありますが何でしょうか。

         新東京タワー建設予定地を歩く


     京成橋 (けいせいばし)
全長18.75m・幅27.9/東京都管理
 

 
 業平三丁目と押上一丁目を結ぶ橋で、この橋も昭和4年に架けられましたが、現在の橋は昭和37年に架けられたものです。 名前は京成電鉄の本社があることから付けられています。
  京成線が都営地下鉄と連絡する前は、押上が終点で浅草方面へ歩いて行く人も多く、浅草通りの商店街もたいへん栄えたのです。地下鉄が出来て以来芳しくない状態が続いていましたが、新東京タワー誘致にともない、明るい兆しが見え始めています。
 京成橋のすぐ西方にかつて押上橋という橋がありました。戦災で焼け落ちましたが、つい最近までその遺構の様なものがありましたが、今はきれいに整備されて見当たりません。大横川から中川までの北十間川は、掘削時には橋は3本しかなく、押上橋、堺橋、慈光院橋という橋の三っだけでした。

京成橋から西十間橋の護岸南側風景


     西十間橋 (にしじゅっけんばし)
全長21m・幅10m/墨田区管理
 
 
 業平四丁目と押上一丁目を結ぶ橋で、平成元年7月に架けられた新しい橋です。
 震災復興計画で昭和4年に架けらた橋ですが、戦災でも焼け、昭和27年に架けられた木橋は昭和38年まで頑張り、墨田区最後の木の橋として記録に残っています。
 この橋は歩道は片側だけですが、花壇があってお花がたくさんありました。
 この橋のすぐ北東に「わんぱく天国」があります。アスレチックなど子供さんが安全に遊べるようになっている一方、田植え体験や、雪だるま造り、ホタル鑑賞や、かぶとむし等創造的な遊びが体験できる貴重なスペースです。


     十間橋 (じゅっけんばし)
全長19.6m・幅15m/墨田区管理
 
 
 業平五丁目と文花一丁目を結ぶ橋で、昭和14年3月に架けられた橋です。北十間川はこの橋のすぐ東から横十間川とつながっています。
 名前は横十間川と北十間川が合流する地点にあるのでそう付いたのでしょうか。
  この橋の欄干は墨田区でも珍しい石造りです。
 この橋の西側から古川という川(地図参照)がありました。請地古川とも言いましたが、秋葉神社の北を通り向島の言問団子の上の銅像堀公園 のところで隅田川とつながっていました。この川が向島と本所の堺となっていたそうですが、明治の初めに埋め立てられています。
 今はない中居堀や曳舟川は、位置がはっきりしているのですが、この川を埋めた後の道というのがはっきりしません。そのうち調べて歩いてみたいものです。
十間橋から境橋までは護岸から降りて水辺を歩くことが出来ます。


     境橋 (さかいばし)
全長23.8m・幅合計12m/墨田区管理
 

 
 文花一丁目と江東区亀戸三丁目を結ぶ橋で、昭和49年11月に架けられた橋です。この橋は万治年間(1659年以降)の北十間川掘削時に架けられた3本の橋のうちの一つです。
 昔の地名では、南の境町と北の請地村というところを結んでいた橋ですが、この川の北側を葛西領本田筋と呼び、南の新田筋との境をなしていたことから境橋と名付けられました。
 昭和49年に架けられたこの橋は交通量増加のためか、後になって上流と下流側に細い歩道が出来ました。これが又、別々の橋になっていまして、東側が昭和63年、西側が平成12年に出来ていて3本まとめて境橋。
 南側橋詰めには何ですか昔から祐天堂という祠があります。北詰めには、
すぐ左に大きなスーパーマーケットがあり、もう少し進むと梅の香取神社があります。
  元中居堀のあった道です。



     福神橋 (ふくじんばし)
全長21.3m・幅22m/東京都管理
 
 
 立花一丁目と江東区亀戸三丁目を結ぶ橋で、昭和58年11月に架けられた橋です。 名前は近くにある吾嬬神社や亀戸の香取神社にあやかって付けられたと云われますが、亀戸七福神が点在する寺社の中ほどにあるので付いたと云われる方もいらっしゃいます。
 明治通りに架かる橋で、墨田区側東詰めには弟橘姫(おとたちばなひめ)を祀る吾嬬神社があり、西詰めには大沢梅次郎という方の銅像があります、この方は明治22年に生まれて昭和34年没するまで、今で言う区議会議員や都議会議員として地元のために働いた人です。立花大正民家園の旧小山家の出身ですね。


     小原橋 (おはらばし)
全長18.4m・幅4.2m/東京都管理
 

 
 立花三丁目と江東区亀戸四丁目を結ぶ橋で、昭和40年3月に架けられたました。この橋は墨田区内で最も幅の狭い橋で4.2メートルです。現在は車両通行止めになっていて、人と自転車専用です。

 初めは昭和27年に架けられた木の橋でしたが、老朽化と地盤沈下がはげしく昭和40年に架け替えられたものです。この辺りは有数の地盤沈下地帯で、橋の架け替え要請時には過去30年で2メートル60センチも沈んだと時の新聞が報じています。橋が護岸壁よりも低くなり、壁が橋の所で切れてしまので、増水事にはそこから町へ浸水する恐れが生じました。そこで橋の両詰めに「差しブタ」というコンクリートの板を差し込み、護岸と同じ高さにして浸水を防ぐ努力をしました。今でもその跡が残っています。
 この橋の西にある東武亀戸線の鉄橋も同様に、台風の時などは水が橋桁までつかり、電車が水をはじきながら走るという風景も見られたそうです。ここにも浸水防止装置の跡が残っています。
 小原橋と並んで架かっている新小原橋は都市計画道路の丸八通りに架かる橋で昭和51年3月に架けられた橋です。 橋の長さ40m、幅15mで歩道はありません。車両専用。

 福神橋と小原橋の間、やや小原橋寄りに慈光院というお寺があります。北十間川が掘られた時はこのお寺の前に慈光院橋という橋がありました。昔、北十間川に架かっていた橋は 慈光院橋、下って境橋、そして押上橋の三本でした。
 小原橋を東に100メートルも歩くと旧中川との合流地点です。今回は逆に歩きましたが、こちらが上流で隅田川に向かう方が下流になります。

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引用文献 :「東京の橋」石川悌二 株式会社新人物往来社
      「江戸から東京へ
」 矢田挿雲
      「墨田区の歴史」山本純美 株式会社名著出版
      
「墨田の町々」小島惟孝著 墨田区企画経営室広報広聴担当
      「江戸・東京歴史の散歩道」(中央区・台東区・墨田区・江東区)株式会社 街と暮らし社
      「隅田川 橋の紳士録」 白井裕著 東京堂出版

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